モ1形

形式史

1911(明治44)年 電1形として41両(1~41)が竣工
1912(明治45)年 電1形として11両(42~52)が竣工
1916(大正5)年 3両(50~52)を箕面有馬電気軌道に譲渡。同社34形34~36号となる
1917(大正6)年 3両(47~49)を京阪電気鉄道に貸出。1月17日の深草車庫出火による車両不足のため。返却時期不明。
1929(昭和5)年 車両呼称変更により電1形からモ1形に変更
1934(昭和9)年 4両(19,34,35,40)を阪堺電鉄に貸出
1935(昭和10)年 阪堺電鉄貸出中の4両を正式に譲渡。同社81形81~84号となる
5両(15,17,29,37,39)を琴平参宮電鉄に譲渡。同社60形55~59号となる
4両(7,8,22,23)が廃車。電動機と台車はモ2001形2001~2004号に流用
1937(昭和12)年 6両が廃車。電動機と台車はモ2001形2005~2010号に流用
1938(昭和13)年 25両が廃車。電動機と台車はモ205形211~235号に流用
1939(昭和14)年 5両が廃車。電動機と台車はモ205形236~240号に流用、形式消滅


車両諸元

車体類

車両長 車両巾 車両高 定員[座席] 自重 台車
10,668mm 2,286mm 3,683mm 62人[42人] 13.6t ブリル27-GE-1


機器類

主電動機 集電装置 制御装置 空気制動機 空気圧縮機
1-10:AEG67(30kW)×2
11-52:GE-247-I(30kW)×2
  1-10:AEG-K-14 直接式
11-52:GE-K-9 直接式
   

車両一覧

※号車は廃車時基準
号車 製造年 製造会社 備考
1号 1911(明治44)年 梅鉢鉄工所  
2号 1911(明治44)年 梅鉢鉄工所  
3号 1911(明治44)年 梅鉢鉄工所  
4号 1911(明治44)年 梅鉢鉄工所  
5号 1911(明治44)年 梅鉢鉄工所  
6号 1911(明治44)年 梅鉢鉄工所  
7号 1911(明治44)年 梅鉢鉄工所  
8号 1911(明治44)年 梅鉢鉄工所  
9号 1911(明治44)年 梅鉢鉄工所  
10号 1911(明治44)年 梅鉢鉄工所  
11号 1911(明治44)年 天野工場  
12号 1911(明治44)年 天野工場  
13号 1911(明治44)年 天野工場  
14号 1911(明治44)年 天野工場  
15号 1911(明治44)年 天野工場 1935年琴平参宮電鉄に譲渡
16号 1911(明治44)年 天野工場  
17号 1911(明治44)年 天野工場 1935年琴平参宮電鉄に譲渡
18号 1911(明治44)年 天野工場  
19号 1911(明治44)年 天野工場 1934年阪堺電鉄に貸出、翌35年譲渡
20号 1911(明治44)年 天野工場  
21号 1911(明治44)年 天野工場  
22号 1911(明治44)年 天野工場  
23号 1911(明治44)年 天野工場  
24号 1911(明治44)年 天野工場  
25号 1911(明治44)年 天野工場  
26号 1911(明治44)年 天野工場  
27号 1911(明治44)年 天野工場  
28号 1911(明治44)年 天野工場 1920年10月正面衝突事故。その後復旧
29号 1911(明治44)年 天野工場 1935年琴平参宮電鉄に譲渡
30号 1911(明治44)年 天野工場  
31号 1911(明治44)年 天野工場  
32号 1911(明治44)年 天野工場  
33号 1911(明治44)年 天野工場  
34号 1911(明治44)年 天野工場 1934年阪堺電鉄に貸出、翌35年譲渡
35号 1911(明治44)年 天野工場 1934年阪堺電鉄に貸出、翌35年譲渡
36号 1911(明治44)年 天野工場  
37号 1911(明治44)年 天野工場 1935年琴平参宮電鉄に譲渡
38号 1911(明治44)年 天野工場  
39号 1911(明治44)年 天野工場 1935年琴平参宮電鉄に譲渡
40号 1911(明治44)年 天野工場 1934年阪堺電鉄に貸出、翌35年譲渡
41号 1911(明治44)年 天野工場  
42号 1912(明治45)年 天野工場  
43号 1912(明治45)年 天野工場  
44号 1912(明治45)年 天野工場  
45号 1912(明治45)年 天野工場  
46号 1912(明治45)年 天野工場  
47号 1912(明治45)年 天野工場  
48号 1912(明治45)年 天野工場  
49号 1912(明治45)年 天野工場 1920年10月脱線・正面衝突事故。その後復旧
50号 1912(明治45)年 天野工場 1916年箕面有馬電気軌道に譲渡
51号 1912(明治45)年 天野工場 1916年箕面有馬電気軌道に譲渡
52号 1912(明治45)年 天野工場 1916年箕面有馬電気軌道に譲渡


譲渡後の動向

箕面有馬電気軌道・阪神急行電鉄・京阪神急行電鉄34形~京阪神急行電鉄・京阪電気鉄道5型

1916(大正5)年 箕面線向け車両として転入。34~36号となる
1918(大正7)年 会社名を阪神急行電鉄に改称
1926(昭和元)年 集電装置をパンタグラフ化
能勢電気軌道へ教習用として貸出
1930(昭和5)年 休車となる
1933(昭和8)年 北野線向け車両として営業再開
1943(昭和18)年 会社名が合併により京阪神急行電鉄に改称
1945(昭和20)年 大津線向け車両として36号を転属。5型5号に改番
1949(昭和24)年 北野線廃止(1月1日)により休車
四宮車庫火災(8月7日未明)により、34,35を5型6,7号に改番・転属
会社名が分割により阪神急行電鉄に改称(12月1日)
1951(昭和26)年 3両ともに予備車となる
1953(昭和28)年 3両ともに廃車


阪堺電鉄81形

1934(昭和9)年 4両を借入
1935(昭和10)年 正式に譲受。81~84号となる
1938(昭和13)年 85~87号として転入(元の車号は不明)
1940(昭和15)年 81~85号を半鋼製化し201形201~205号に改番


琴平参宮電鉄

1935(昭和10)年 転入

  • 最終更新:2014-02-22 09:58:54

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